+a summer funeral+

 あの場所を出て行く迄の記憶は、あまり定かでは無い。
 時に荒れ或いは穏やかだった風。
 光。太陽の、或いは月の。
 何も感じず只そこに居た日々。
 何かを待っていた遠い日。
 白く雪に閉ざされる山。
 そしてその光景に抱いた恐怖。
 それから―我が身の不自由を心から悔いた事。
 断片的なイメージと感情の欠片しか残っていない。
 だから今となっては、あそこに居たのがどれほどの間の事だったのか、それさえも分かりはしなかった。長い、とても長い時間だったとも、それほどでも無かったとも、彼自身では断じ難かった。
 だから、それを目にしたとき、彼は強い既視感を覚えたが、何故なのかはやはり分かりはしなかった。
 だた、強い衝動に駆られた。
 ああ、……してやらなくちゃ。


「おや、おひとりだったんですね。」
 ノックも挨拶も省略して掛けられた声に、三蔵は軽く顔をしかめながらも応じる。
「仕事が立て込んでるんでアイツなら追い出したぞ。子供は外で遊ぶもんだ。」
 その外から入ってきたばかりの八戒は苦笑いを浮かべる。この執務室の窓からも木漏れ日となって白昼、それも真夏の日差しの片鱗が見て取れる。そして煩いほどの蝉の声。
「元気に遊び回るには暑過ぎって気もしますが。」
「それで何の用だ?」
「用って程の向きでもないんですが。コレ、差し上げますよ。」
「……桃?」
 机の上にごろごろと直に置かれた果実から甘い香りが立ち上る。夏らしい、空気だ。室内の淀んだ空気に射す一片の涼。悟空がいればもうちょっといいリアクションが期待出来たんですけどねえ、と八戒が何処か不満気に漏らした。抱えている紙袋にはまだ桃が入っているらしい。
「感謝してないとは言ってないだろう。そんなにまたどうしたんだ?」
「いえ、僕はひとかご買うつもりだったんですが……いつもの事です。」
「ちゃっかりしてるな。」
「マダムキラーとか何とか言われてますよ。」
 軽く肩をすくめて見せると、あてつけがましく続けた。
「それじゃ、僕もう帰りますね。お仕事の邪魔しちゃ悪いですから。」
 実際のところそろそろ一息入れようと思っていた三蔵だったが、わざわざ引き留めはしない。
「まあ、サルがいなけりゃ特に面白いことも無いだろうしな。」
「いえ、あなたも十分面白いですけど。」
「……どういう意味だそれは。」
「実は結構何でも無い顔しといて本当は割とミーハーで旬の食べ物とか好きなところとかですかね?」
「……。」
 つくづく性格の良い男だ。三蔵は帰れ帰れと手を振った。
「それじゃあ。」
 戸口から手を振り返して八戒は消えた。
 彼の残していった桃のひとつを一度手に取り、しばし考え、やはり元の通り机の隅に置き直す。休憩したいところだが二度手間になってしまう、桃は五月蝿いのが帰ってくるまで我慢することにする。
 そう、八戒の言う通り三蔵はこの思わぬ到来物を結構喜んでいたのだった。
 ゆっくりと伸びをし、ついでに肩を鳴らして、三蔵は再び机に向かった。
 どれほど経っただろうか。三蔵は、僧たちが灯明を配って歩く声で我に返った。
 確かに、少し手元が暗くなってきている。
 夏の日は長い。であるから、明るくとも時間はもう随分遅い。
「……おかしいな。」
 ひとりごちて立ち上がる。
 別に少々暗くなったからと言って心配するような歳でも無いが、こんな時間になっても悟空が帰って来ない事は滅多に無かった。理由は明々白々、空腹、である。いつもならなかなか仕事を擱かない三蔵に腹減ったコールをやかましく繰り返している頃だ。
 一部屋ずつ灯明を配っている僧の声が近付いて来る。抜け出すなら今の内だ。
 三蔵は気の進まない様子でのろのろと背後の窓を振り返ったが、そこから先の行動は早かった。灯りを持った年若い僧が執務室をのぞいたときには、夕暮れの風に薄いカーテンがはためいているばかりで三蔵の姿は既にそこには無かった。


「こんなとこで何やってんだ?」
「わーッ」
 殆ど真横から不意に声を掛けられて悟空は面食らった。近付いて来た事にすら全く気付いていなかった。
「……やかましい声出してんじゃねえよ。」
 三蔵は片方の耳を押さえて見せる。
「うわッ」
「……今度は何だ?」
「イヤなんか三蔵がそういうカッコしてんのあんま見ねぇなと思って」
 悟空は通り道に背を向けるようにしてしゃがみこんでいたのだが、何と三蔵もその隣で同じように膝を折っていたのだ。
「そりゃテメェが後ろからずっと見てんのに気付かねーからだろ。」
「やっぱわざと驚かしてんじゃん!」
 悟空が居たのは意外にも寺院の敷地内だった。関係者しか使わない、目立たない通用口を入ってすぐのところで、背を向けて座り込んでいるのを見つけたのだ。
 寺院の者で彼の事を快く思っていないものは少なくは無い。
 故に寺院の中をひとりでうろついていること自体が珍しい。ましてやこんなところに居たのでは、いつ誰に邪魔だとか何とか因縁をつけられたか知れたものではない。
「で、ここで何してたんだ?」
 問い掛けた三蔵の目に、植え込みの下、目立たない場所に今しがた掘り返してまた埋め直したような跡が映った。見れば悟空の手は土に塗れている。その、小さな塚の意味するところはひとつ。
「……墓か?」
「ん。」
 悟空はただ短く頷いた。
 目線は塚から外さぬまま、ひとりごちるようにポツリと続けた。
「鳥が、死んでてさ。」
 三蔵は何も言わなかった。その沈黙の意図を量りかねて悟空は慌てて付け足す。
「別にそこらで死んでるの、全部構ってるワケじゃないんだよ。そりゃ可哀そうだけどキリねえしさ。」
「……何も言って無いだろうが。」
「何か言うかと思って。」
 三蔵も塚を見た。
「ちょっと言おうと思ってたけどな。」
「やっぱり!」
 際限ねーだろとかバッカじゃねーのとかどうせそんあたりだろ、と言う悟空には構わず三蔵は問う。
「じゃあなんでなんだ?」
「よく分かんねーんだけど。」
 やかましくしていた悟空はそう言って少し口を閉ざす。
「前にも、おんなじような事があった気がしてさ。ホントはそんときにこうしたかたんだ。」
 いつか、同じ事があった。
 そのときの自分にはきっとそのことは今よりも特別だった。
 すぐ目の前で、つい昨日まで囀り羽ばたいていた小鳥が死んでいた。
 その姿を知り、触れ合いすらしたのに、その命が今はもう無いことが一目で分かった。
 手を伸ばしても届かなかった。叫んでも何も変わらなかった。
 いっそ暗闇にひとりなら、孤独を恐れることも、この身の不自由さを呪うことも無かっただろうに。ただ、見ていることしか出来なかった小さな友の躯。
「フーン。」
「聞いてんのか?」
「だから返事してやってるだろ。」
「なんだそれ……うわッ」
 悟空はよろける身体を支える為に台詞を中断せざるを得なかった。三蔵が彼の頭を手掛かりにして立ち上がったのだ。遅れて悟空も立ち上がる。
「ヒデーよ、今のはヒデー。」
「それで、気は済んだか。」
 真顔で問われて、再び急拵えの塚を振り返る。
 少し離れてしまえば植え込みに隠れて見えなくなってしまうだろう。それでいい。掃除熱心な修行僧に掘り返される心配は無さそうだ。
「ウン。」
 覚えている。
 あそこは穏やかでとても静かだったけれど、願っても叶わない事がたくさんあった。望んでも手の届かない物が多過ぎた。
 決して途切れる事の無い胸の痛みに涙した事―よく、覚えている。
 今、あのときの空白を埋め合わせることにどれだけの意味があるかなんて分からないけれど。
「うん……ただの、自己満足だからさ。」
「やりたい事を、やりゃあいいじゃねえか。」
 シンプルに、そう言ってのける。
 もう今はそれが出来るから。
 ここはあの冷たい岩屋ではない。
 やりたい事を、欲しいモノを、行きたいところへ。
 全てが自分次第なのだ。
「全部てめぇで決めてテメェでケツ拭や何でもいんだよ。やりたい事はやりゃあいい。」
「うん、そーだな。」
 既に背を向けて歩み出している三蔵を追う。
「それにまァ、いいんじゃねーのか一石二鳥で。」
「は?」
「だから、おまえのやりたいことやって、それで何か良い事になったんだったら一石二鳥じゃねえか。」
「いっせきにちょう?」
「あのなあ……。」
 真顔で問う悟空にそこからかよ、と三蔵は頭を抱える。そんな彼には悟空はお構い無しだ。学習意欲は旺盛だ。
「でなに、イッセキニチョウ?」
「一石二鳥ってのはだな」
「うん」
 まるでそうしていればより深く理解できるかのように、悟空は三蔵の立てた人差し指を食い入るように見つめる。三蔵も悟空の言語理解能力の範囲内でかつ一度で覚えきれるよう簡潔な説明を探して真剣な面持ちになる。
「石を投げたら一度に鳥二匹に当たって」
「三蔵、鳥は『羽』。てこの前八戒に教えて貰った。」
「煩いな」
「すみません」
「とにかく石を一個投げたら鳥二羽に当たってラッキーって話だ。」
「へー。」
 が、悟空からは追加で思わぬ質問が出た。
「鳥に、石当ててどーすんの。」
 三蔵はしばし考え、嫌な想像に一瞬躊躇ったがおもむろに言う。
「やっぱ……鳥、捕るんじゃねーのか。」
「それって……。」
「……ちょっとマズッたとは思ってるからそれ以上言うな。」
 日が落ちるのは思ったよりも早い。そう言った三蔵の表情の機微はもう悟空には読み取れなかった。きっと、普段滅多に見せない顔をしているだろうと思うと惜しかったが。
 再び歩き出した二人の耳には、日暮の鳴き声が聞こえてくる。昼間の蝉時雨とは違い、涼と、そして何処か哀愁を誘う。夕暮れになると暦は既に秋に差し掛かっている事を思い出させる。季節は短く、生きるものにとって時間は決して無限では無いのだ。
 太陽の残滓を残して、夜の色に染まり始めている空を見上げ、三蔵はポツリと漏らした。
「てゆーかもう夕飯の時間終わってねーか、どうすんだ。」
「ええええええ!?どうするんだよソレ!」
「だからそう言ってるだろ!」
 悟空はこの世の終わりのような顔をする。
 宿坊の生活規則は厳しい。それは最高僧である三蔵と言えど例外では無い。
 まあ大概の事はそれでもどうにかあれこれと抜け道があるが、夕餉の時間は逃せばそれまでだ。夜中まで待って厨房を漁るのはアリかもしれないが、それまで確実に我慢出来ない者が約一名居る。
「もーどっか食い行くしかねえなあ。」
「でも三蔵そのカッコじゃあんま行けるトコないじゃん。」
 流石の三蔵も言わば現在のホームにしている慶雲院の近隣で、僧衣のまま飲食店に入るのは控えている。……長安から離れた出先では、また別の話だが。
「気は進まねーがベンリな場所があるだろ。」
「あー悟浄んち押しかけ?」
 悟空が納得して目を輝かせた。悟空の中で悟浄の家イコール寺院よりもいろいろ遠慮が要らない場所、という認識が出来上がっている為だ。特に、食事のメニューに制限が無いところなど。流石の悟空も寺院で出される食事については仕方が無いので戒律を守る羽目になる。……個人的に隠してある食糧に関しては、また別の話だが。
「なんか持ってきゃアイツらも文句ねーだろ。何買ってく?」
「んー。そうだな……あ、そーだ俺ヤキトリ食いたい!」
 少し先を歩く三蔵の足が止まり、振り返る。
「また鳥喰う話かよ……。」
「ウン、今のは俺もマズッたと思った……。」
 そのとき、三蔵が少し、笑った。
 ……と、少なくとも悟空は思った。この視界では確かなことは分からない。
「いいんじゃねーのか、食いたいモン食っとけ。責任も覚悟もあるならな。」
「ヤキトリに責任とか覚悟とかそんな大層なモン要んの!?」
「先刻もそう言ったじゃねーか、世の中いつでもそうだろ。」
「イヤまあいーけど、ヤキトリ何処で買う?」
「屋台で包んで貰うか。てかこの時間だとソレしか無いか。」
「じゃーとっとと行こうぜ!」
「煩せーんだよ分かってるよ!」


 深夜、後片付けを忘れていた事に気付いた三蔵は執務室に戻って来た。
 悟空は既に帰って寝所に直行、今頃は夢の中だ。
 用心に誰かが窓を閉めたのだろう。昼間八戒の置いていった桃もそのままだったから、甘い香りが部屋中に強く立ち込めている。明日悟空は川釣りに行く事になったようだからそのときに持たせてやればいいとかそんなことを考えながら机の上の書類を手に取り、三蔵はハッとした。
「これは……!」


「コザルちゃーん、あーそーびーまーしょー。」
 やる気の無いそれでいてふざけた呼び掛けが執務室の窓から投げ掛けられる。その声の主は悟浄だ。部屋の入り口からきちんと挨拶をしようとしたならば寺院の正門を通り三蔵の部屋のある建物の入り口から入ればいい訳だが、その為には約二回程自分の素性と面会相手と面会目的を説明する必要があるので、通用口を使い人目に付かぬようここまでやって来るという方法を取ったのだ。
 その悟浄の目前には、机に向かう三蔵の背があったが何の反応も無い。
 やかましいとか、その類もだ。
「あー、悟浄マジ連れてってくれんだ鮎!」
「イヤ鮎に連れてくって意味分かんねーから。釣りだよ釣り。昨日約束しただろ一応。漢は約束は守るんだよ。」
「ちょっと待って。」
 準備をしようと部屋の奥に向かいかけた悟空の衣服の端を悟浄が掴んだ。
 窓越しに手招いて、耳元でヒソヒソと問う。
「何?」
「イヤ、どうしたの?なんか殺気立ってねえ?こんな仕事熱心だっけよコイツ。」
 悟浄が指差すのは三蔵の背中だ。先程から一言も発して無い。
 悟空が、思い出したように噴き出した。
「三蔵、昨日帰ってから一睡もしてねーんだよ、なんか昼までにやんないといけないことあったの忘れて出てきちゃってたらしくてさー。やっぱヤキトリにも責任とか覚悟って要ったんだな!」
 悟空が三蔵の背をぽんぽんと叩いた。悟浄は目を丸くする。
「何の話よソレ?」
 しかし悟浄がその答えを知ることは出来無かった。
「煩いてんだよ、行くならさっさと行け!」
「分かりましたー!」
 悟空はバタバタと部屋の奥へ駆け込んで行き、悟浄は両手を挙げて降参のポーズを取った。その頭上、風に揺れる木々からは絶え間ない蝉の声、残り僅かな夏を歌う声が降り注いでいる。そんな或る夏の日。

エー、いかがでしたでしょうか?
久々にいかにも二次創作っぽいの書いたなー。>話に起伏が乏しい/しかも既存の話をベースにしている=既存の固まったキャラに依存しないと成り立たない話。
ベースにしているのは、七巻に入ってた「10years ago」のエピソードです。確かこんなシーンあったよな、で書き始めて、書き終わってから存在を確認したとゆーアホです。また自分の脳内捏造シーンだったらどうする気だったんだ……。
たまにだと楽しいです。でも、基本的にはそれいっこでも成り立つような起伏のある話のが書いてて楽しいですね。私の場合、原作とは違う方向性を求めて二次創作をしているのではなくて、正調贋作とでも言うか、古典的なパロディの姿勢が基本ですので。原作にまぎれてても違和感無いような話が書きたい。どちらかってーと。
桃とか鮎とかイヤそれだけじゃないけど、ちょっと夏らしい演出を心がけてみましたがいかがでしたでしょうか。暑中見舞い的に。あ、もうじき残暑ですけど既に!
裏テーマは、『キレないちょっとまるい保護者な三蔵』(笑)(最後にキレてるけどな)だったワケなのですが、意外になんかこのカンジの三蔵気に入ったのでまた使うかもー。原作で言うとむしろ初期三蔵に近いカンジを狙ってみたんですけどね。初期三蔵のが今三蔵より性格やわらかそうなんです。そんで余裕あって男前!キャー!>今の三蔵の立場は……。
それではそれでは、笑えると思われる(相変わらず自信が無い)オマケ二点です。
オマケ@-"昨晩の約束"の経緯-
オマケA-そして川釣り-
オマケも含めてお楽しみ頂ければ幸いです。
ちなみにタイトルは不本意ながら耳慣れない英単語ですが、『或る夏の葬儀』程で。
出来ればパッと見て学校教育程度の心得がある人なら何となく分かるぐらいには認知度の高い単語しか使いたくないのだがー。
(要するに少なくとも自分が理解できる単語にはしたいのだがー。)
個人的には英語タイトルはあんま好きじゃないです。だって意味分かんねーじゃん。
しかし最遊記の場合原作がああなので合わせないとなあーと。でも私は日本語しか話せんので、ナチュラルに英単語でイメージが先に出ることは滅多に無くて(たまーにあるけどでも多分ソレは単に自分の概念に微かな差で日本語の単語の意味よりも英単語のニュアンスのがしっくりいくときだけ)、日本語で考えて→英訳し易すそうな日本語に何となく置き換えて→和英辞典を引いて→そんで出てきた単語の用法を調べるために英和辞典引いて→幾つか似た意味の単語を吟味してようやく完成とゆーメンドーな事に……。
でも、やるからにはちゃんと辞書引いてヘンじゃない単語使いますけどね!よく知られている単語でも確認したりしてますけどね!←誰と比べての話だ。
今回、何となくわざと「funeral」の方の単語を使ったんです。何故なら葬儀=埋葬。もういっこ同義の単語は例のアレです(苦笑)。一緒になったらヘンなのでかわしましたが、フツーに「葬式」って意味なら用例見る限りでは「funeral」のが一般的みたい?
しかし読み返すだに、冒頭の八戒の登場に何の意味も無いなあ。愛?愛ゆえ?でも愛ゆえにこんな暴挙に出ることが出来たのは初めてかもしれないわー。

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