+the day after+

カミサマが来るよ。
暗い部屋の隅、据えたような血の臭いの中、ただ待っていた。
カミサマが来るよ。
ひとのいのちはとてもはかないのだと、そんなことを考えていた。
彼らはたったふたりきりだった。
震える手をつなぎあって。
他にはただ冷たい骸が横たわるだけ。
けれど。
カミサマが来るよ。
だから、ひとりじゃないから。
―僕らも、みんなのところへ連れてって。
暗い部屋の隅、据えたような血の臭いの中、ずっと待っていた。
ひとのいのちはとてもはかなくて、瞬きの間に消えていく、そんなことを思っていた。
それから、何年かが経った。

巡り逢いはいつも突然に。
確かに見間違えるはずも無いその姿を、彼は雑踏に見出す。


the day after


「おにいちゃんの手、まっかだね。」
 え、と振返った八戒の表情は、一見いつもと変わらないように見えた。
 視線の先には、年端もいかないちいさな女の子の姿があった。八戒の戸惑いを感じ取ってか彼女もまた首をかしげて続けた。
「まっかだよ、どうして洗わないの。洗っても、落ちないの。」
 表情のない瞳で、まっかだよ、と繰り返す。
動けないで居る八戒の腕を悟浄は勢いよく少女から引き離した。だが声をかけたのはその少女に向かってだった。
「おい、じょーちゃん、よく見ろよ、な、コイツの手別にきれーなもんじゃねェか。」
 それからもう一度、八戒の肩をばんばんと叩いた。
「テメェも真に受けんな、しっかりしろよ!」
「え、ええ……あの」
 揺らいだ瞳が焦点を取り戻し、改めて少女に向かう。
 だが、少女は繰り返した。
「でも、まっかだよ。」
 心臓をわしづかみにされるような、感触。
 今、彼女には何が見えている?
 今度こそ八戒は凍りついた。
「……!」
 悟浄も言葉を失った。
 しかし永遠に続くかと思われたその時は、思わぬ形で破られた。
 ふ、と唐突に意識を失って少女の体が崩れ落ちた。
「あぶねッ」
 咄嗟にそれを悟空が支え、地面にぶつかることだけは避けられた。
 悟浄はそちらを心配げに見遣りながらも再び視線を八戒に戻した。
「おい、大丈夫か?」
「はい、すみません。」
 もう平気ですよ、と未だ取られたままだった腕をぎこちなく悟浄から取り戻す。その表情には一応いつもの笑顔が戻っていた。完全にそれを信用しないまでも、それ以上問い詰める言葉を持たず悟浄もおとなしく手を離した。
「な、どうしよう、このコ?」
 悟空に問われ答えたのは三蔵だった。
「これだけ注目浴びたんだ、放っとくワケにもいかねえだろう。」
 立ち止まりこちらを伺う通行人も少なくは無い。周囲には人垣が出来かけていた。三蔵は、舌打ちと共にいまいましい、と漏らす。
そこへ、少年の声が割り込んだ。
「明々!!」
 人垣が破れて、ローティーンと思しき少年が悟空の抱きかかえる少女へと駆け寄った。眉を寄せて蒼白な少女の顔へと手を当てる。
「このコの知り合いか?」
「……え?あ、ああ、そうです。僕の妹です。」
 今気付いたように隣に立つ悟浄を見上げ、少年は答えた。その肩に八戒が手をかける。
「呼吸も脈拍も正常なようです、きっと少し様子を見れば大丈夫でしょう。家は何処ですか?僕らで宜しければ力を貸します。」
「―お言葉に甘えて、お願いします。」
 大人びた笑顔を返す少年に三蔵は軽く渋面を作ったが、誰もそのことには気付かなかった。


「その、妹はちょっと……普通じゃなくて。迷惑をかけてすみません。」
 妹を別室で休ませると少年―豹英と名乗った―はお礼にとお茶を淹れて、四人に休んでいくようにと言った。詳しい事情は分からないが家には大人の気配が無い。そのことが四人の足を止めた。
「と言うと?」
 不躾とも言える質問を発したのは三蔵だった。
 悟浄はんなこと聞くかよなあ、と同意を求めるように八戒をちらりと見遣ったがしかし彼はお茶のカップを両手に包みぼんやりと視線を落としていた。その様子が気に掛かったが、特に何を聞くべきか悟浄には思い浮かばなかった。
「その、ご覧の通り、僕らここに二人住まいで。いや、もちろん近くに親戚が住んでるから助けはあるんですが……。」
 豹英は取り繕うように笑って続ける。
「四年ほど前に事故で両親を亡くしたショックで妹は滅多に口も聞かないし、笑わないし……今みたいに突然訳の分からないことを言い出すのも初めてじゃなくて。正直参ってるけど、たった二人の家族だから……。」
「そいつは気の毒だな。大丈夫か?」
 言葉をかけたのは何故か問うた三蔵ではなく悟浄だった。
「僕ももうちょっとした仕事なら出来る歳だし、なんとかやってます。……そうだ!」
 豹英は大げさにぽんと手を打って見せた。
「お礼にと誘っておいて図々しいんですが、ちょっと大人の手が必要な用事があって……親戚にはお金のことでお世話になってるからなかなか言い出せないんです。ちょっとだけ手伝って貰えませんか?」
 そろそろじっとしていることに飽きていた悟空が俺やろうか、と口に仕掛けた。
 だが。
「八戒さん、お願いできませんか。」
 突然とも言えるタイミングで、豹英は八戒を名指しした。え、と八戒は一瞬口ごもった。普段の彼らしからぬ行動だった。
 三蔵は注意深く二人の様子を見ていた。
「……ええ、構いませんよ。どちらですか?」
 一瞬の後には八戒は常と変わらぬ穏やかな笑顔を浮かべていた。豹英もありがとうございます、と笑顔で応じる。
「裏の方なんですが……。」
 部屋を出て行く二人を見送って、悟空がポツリと漏らした。
「ヘーンなのー。」
「ヘンってあにがよ?」
 姿勢を崩してずるずるとカップからお茶をすすりつつ悟浄が尋ねる。
「何ってよく分かんねーけど、なんかヘン。」
「まあ、そうだな。」
 カップをテーブルに置きながら三蔵もそう言った。
「やっぱり?やっぱり変だよな、あの二人。」
「悟浄も変だって思ってたんじゃん!で、なんなんだろう……。」
 知り合い、とか?と小さく続ける。
「かもなー。四年前で知り合いとかってちょっとなんかヤバそーな感じがするんだけどなー……。」
「ああ……。」
 悟空も八戒の過去については知っている。彼がかつて猪悟能と言う名の人間であったこと、そしてその名を、姿を捨てるに至った経緯。その課程での顔見知りというのであれば、事は穏便ではない。
「アイツ、事故で両親を亡くしたって言ってたよな。もしかしなくても……そういうことなんだろうな……。」
「もちろん分かってて俺たちうちに呼んだんだよな。それってヤバくない?」
「………………そこでどうして俺を見るんだ?」
 二人の視線を受けて、三蔵が大きく息を吐いた。
「いやー、やっぱリーダーだし?」
「どうしようもないだろう。二人とも気付かない振りをしてるんだ。それに何も起こってない。この状況で第三者に出来ることがあるか?」
 三蔵の言うことはもっともだった。
「けどさー」
 しかし悟空の言葉はがしゃんと言う大きな物音にかき消された。直後、豹英のものらしい叫び声が聞こえた。
 声を掛け合うこともなく、悟空と悟浄は一斉に部屋を駆け出した。


「そこの、上の方、トタンがめくれちゃって……踏み台に上がっても力が入れづらくてうまく直せないんです。」
「これですね?分かりました。」
 家の壁に沿って作られた小さな物置、その屋根の一部が豹英の言う通りめくれあがっていた。八戒ならば転がっていた木箱の上に立てば楽に手の届く高さだった。
 豹英から受け取った釘をトタンに打ち込んでいく。その音だけが響いている。
 豹英は八戒の背をじっと見ていた。
 今しかない。今ならば。
 決断しなければ、チャンスはすぐに去ってしまう。
 彼が四年前にこの家に来たときから裏庭にうち捨てられていた鉈が視界をよぎった。錆びついてしまっているが、思い切り振れば、用を為すのに不足はないだろう。
 トン トン トン トン
 八戒が金槌を使う音が単調に続いている。
 豹英はそのリズムに合わせるように、だが静かに鉈に近付く。
 トン トン トン トン
 そしてそれを拾い上げ、しっかりと握り締めた。
 思い切り。きっとただの一度でいい。それだけで終わる。
 トン トン トン トン
 仕事を続ける八戒の後ろに立つ。呼吸を整え、そして―。
「死ねよ!!」
 叫びは、自然に漏れていた。


「どうしたんだ!?」
「八戒、大丈夫!?」
 裏庭に駆け込んだ悟空と悟浄の目の前には、しかし意外な光景があった。
 八戒はただ静かに立っている。
 豹英はその横に跪いていた。錆びついた鉈は地面に転がっていた。
 ひとつその場が尋常ではないことを物語っているのは、八戒のすぐ脇の物置の壁が大きく破損していたことだった。屋根と同じトタンが見るも無惨に砕けていた。
 悟空も、悟浄もその場で発するべき言葉を知らなかった。
「どうして、当てなかったんですか。」
「あんたこそ、どうして避けなかった!?」
 八戒の問いに、殆ど被せるようにして豹英は言う。八戒は天を仰ぐようにして目を閉じた。眉間に深い溝が刻まれる。
「避ける資格が、無いと思ったからです。……あなたは?」
 長い間があって豹英は、怖かった、と呟いた。
「あんたは父さんも母さんも、もっとたくさんの人を殺した……殺されて当たり前だと思った……それでも怖かったんだ殺すのが!」
「復讐か?」
 いつの間にかやってきた三蔵が簡単に尋ねた。豹英は首を振る。
「何年経っても、毎晩、毎晩、思い出すんだ……忘れられないんだ……怖いのに、もう忘れたいのに、どうしたら終わるんだよ!」
 あの日。
 両親が家に帰ってきたと思ったら、妹と二人抱きすくめられてクローゼットに押し込まれた。何があっても黙っていろと言われた。
 妹と二人、身を寄せ合って小さくなっていた。
 すぐに部屋が騒がしくなって、両親が誰かと言い争う声がしたが、湿ったどさりと言う音がして、またすぐに静かになった。
 やがて、閉まりきっていなかったクローゼットのドアが、薄く開く。
 そのときに見た光景が、ずっと脳裏に焼き付いて離れない。
 床を、壁を染める夥しい血の色。
 折り重なるようにして倒れている両親。
 そして、彼はそれを無表情に見下ろしていた。
 両手を血に染め、返り血を浴び、恐ろしい姿で、けれどどこまでも無表情に彼は立っていた。それは人間ではない何かを彷彿とさせる姿だった。
 きっと、あれは人間ではないのだろうと思った。無情に裁きを下す神のように、ひとの命を奪いゆく。
 カミサマが来るよ。
 気付けば、訳もなく繰り返しそう呟いていた。
 それが、悪夢の始まりだった。
 あの日のことは、今でも昨日のことのように鮮やかに脳裏に焼き付いていた。
「もう……嫌なんだ……眠ってもあの夢ですぐに目を覚ます……。」
 豹英は辺りを見渡し、八戒を殺そうとした鉈を見つけると再び拾い上げ、それをのろのろと差し出した。八戒は意図が分からず豹英を見返す。
 少年は今度はまっすぐに八戒を見上げた。
「どうして、どうして僕だけを殺さなかった!?みんな殺して、そうやったように、僕も見つけだして引き裂いてしまえばよかったんだ!」
 豹英は言い切ると、がくりとまた膝をついた。叫ぶことに、全ての力を使いきったような姿だった。心も身体も、もう何も残っては居ない。四年前のあの日から、彼の中身はからっぽだった。ただ、日が昇って沈んでいくそれだけの繰り返しの中で、たったひとつのことだけを考えていた。
 カミサマが来るよ。カミサマが来るよ。
 その手でなにもかもを奪い、壊し尽くした、そのひとが。
 今、やって来た。
 あの日、やりのこしたことを。
 豹英は殆どささやくように低く続けた。
「……僕を殺せよ……あのとき出来て、今出来ないなんて、そんなことは言わせない!」
 八戒は、息を呑んだ。かけようとした言葉は全てなんの意味もないことに思われた。
 繰り返し、つながっていく憎しみの連鎖。
 それは人に刻まれる螺旋と同じように、途方も無く続いていく。
 奪われる悲しみよりも、つよく、つよく、人を衝き動かす。
 ……絶ち切ることの出来なかった自分に、何も言えはしない。
 八戒は俯く他にはなかった。
 ぽとり、と煙草を落として言葉を無くした二人の間に三蔵が進み出た。
「……簡単なことだ。」
 三蔵はガチリ、と銃の撃鉄を起こした。一瞬、誰もがその銃口を少年に向けるのではないかと思った。だが三蔵は、ただそれを少年の目の前に放った。
 地面に着いた自らの手の甲を見つめていた豹英の目が、黒光する銃身へ、それからその先の三蔵の足元へと移り、やがてその紫暗の瞳を見上げた。
「なんのつもり?」
「好きにすればいい。……好きに終わらせろ。テメェの望むようにな。」
 三蔵は新しい煙草を取り出し、それに火を点けた。それっきり、目を閉じた。
 三蔵の瞳から解放された豹英の視線は、また銃へと戻った。
(終わらせる?)
 何を……誰を?
 銃身は冷たく、思ったよりもずっと手に重みを感じた。手にかいた汗を感じながら、しっかりと銃把を掴みなおす。
 銃と、そして。
 再び地面から引き離された視線は、射るように八戒に向けられた。まるで実際に痛みを感じたかのように、八戒はぎゅっと目を閉じた。断罪する目。逸らしてはいけない、そう分かっていても彼には出来なかった。
 豹英はそのまま、ゆっくりと銃身を起こす。地面に膝をつき、両手で銃を握り、過たず打ち抜けるように。
 震える指が、引鉄へとかかる。


 ときが、凍った。


 耳の奥に、重い銃声の余韻が響いた。
 少年の足元にがしゃんと金属質に銃が落下した。
 そっと目蓋を上げた八戒のこめかみに、たった今すうっと薄い血の線が走った。
「殺してなんてやらない、そんな、殺してくれってカオしてるヤツ、殺して誰がうれしいもんか!」
 豹英は血を吐くように叫んだ。
「そして僕も死なない。僕の生きるこの地面の上で、おまえも生きるんだ。」
 八戒は少年を見た。そして、彼が涙を流していることを知った。
 殺して死んでそんなことでは終わらない、彼の中にある何かを見た気がした。
 深く、暗く、少年の心に棲み続けるもの。
 その種を蒔いたのは、他でもない自分であること。
 八戒は唇を噛んだ。
「……分かりました。」
 そう言うしかなかった。
 この日を、彼の言葉を、その目を、自分はずっと忘れずに生きていくだろう。裁かれるでも、憎まれるでもない、ただ、永遠に許されないだけだ。その罪も、そしてそれを償うことさえも許されず、生きていくだけだ。
 豹英は座り込んだまま、顔を伏せた。それ以上の言葉も行動も、全てを拒絶する姿勢だった。
 三蔵が八戒の肩に手をかけ、歩き出すよう促した。
 別れの言葉もなく四人は歩き出す。
 これっきり、彼らが豹英に会うことはないだろう。
 それでも彼はこの世に存在している、そのことがそのまま八戒の十字架となるだろう。彼はよく知っていた。だから、それ以上何も言わなかった。彼は、とてもよく知っていた。


「もう、そんなことは無いと思ったんですけどね。」
 宿のテラス、頼りない木の手摺りに体重をかけて八戒は呟いた。
 もう一度生きてみようと思った。
 その気持ちは決して揺らがないと、そう信じていた。
 ふ、と煙草の煙を吐き出して三蔵は問う。
「どういうことだ?」
 八戒は苦笑を浮かべて続けた。
「僕、まだ死にたがってるように見えますかね?」
「フン、テメェは甘いんだよ。」
「……まだまだ弱いってことですか。」
「今更だな。」
 ひどい言いようですねと八戒は軽く顔をしかめるが、三蔵は少しも意に介さぬ様子で再びぷかりと煙草をふかす。
 前に進む強さ。
 過去に流される弱さ。
 誰の裡にも、それは常に在り続ける。
 なくすことは出来なくて、それでも進んでいる。
 その背に負う十字架は重くて、それでも踏み出す力は残っている。
 星空の向こうには、どんな形であろうと明日があるなら。
「……俺は寝るぞ。」
 伸びをして室内に向かう三蔵に八戒も言う。
「僕も寝ますよ。明日は早いですからね。」
「そうだな。」
 罪も涙も道連れに。
 歩いていこう。生きていこう。
 旅路はまだまだ続くのだから。

実は昨年書いたものの発掘品だったり。アンソロジーに書いた話のベータ版みたいな感じでしょうか。話はちょっと違うんだけど、同じ意味合いの話なので二つ同時に存在はし得ないわけですが、まあ、そこは二次創作なのでそれもまたありかと。
そもそもこの話自体が原作と相容れないというか。書いておきながらなんだけど、原作に清一色のエピソードがあるから、それと合わせて考えると完璧に余分な話なんですよね。
でもまあ、「もしも」の話を書けるのが二次創作の醍醐味と言うことで、「清一色がいなかったらば」の風凪版もしも話を楽しんでいただけたならば幸いです。
アンソロジーに書いた方ももう少し経ったらサイトにも載せていいかなと思ってます。(2009/11/15)

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