「あ、すげえ悟浄!!いけるいける」
「だろー任せとけって。」
ゲームセンターの店頭でUFOキャッチャーを前に、悟空と悟浄の
二人が声を上げる。ゲーム機の中では、アームに絶妙の調節でぬいぐ
るみに付けられた紐が絡んでいた。
後少しで取り出し口だ。
「すーっげ、俺ちょっと尊敬するかも!」
ふとした隙に悟空の手がゲーム台に触れた。その軽い振動が命取り
になった。
「あー!!」
悟浄の悲痛な叫びを余所に非情にもぬいぐるみは取り出し口の縁を
かすめて落下した。
「あーあああ、やっぱ駄目ジャン。」
「てかおまえのせいだろうがよ!」
あまり手加減のない強さで悟空を小突いて置いてから、同じその手
を拳を開いて見せた。
「百円寄こせ。」
「えー俺もう無いよ、お金。」
「しゃーねー自腹か。」
ポケットを適当に探って手に触れた硬貨を投入口に滑り込ませた。
「やた、まだやってくれんの!?」
嬉しそうに笑う悟空だが、それとは関係ないとばかりに悟浄は吐き
捨てた。
「いーじーだよ、男の意地!!絶対取ったるぞ、あのカンパンマン!!」
「やった!!」
久々に今夜は帰らないと告げて家を出た悟浄が、やはりこれも一人
で街に出てきていた悟空と出会ったのは本当に偶然のことだった。か
れこれ四時間ほど前のことになる。
「どーしたんだよ、おまえ、一人か?珍しいな。」
「あーなんかさ。三蔵忙しいみたいで、つまんないつまんないってゆってたら遊んで来いって。」
おこづかいくれた、と小さな財布を見せる。
「もー一人で出かけるなんて滅多にないからさ。どうしようかと思って。」
「ふーん」
わざわざ一人で送り出すとは余程忙しいのだなと悟浄は考える。し
ばらく思案するような表情を見せて悟浄は溜息をついた。
女の方は後で適当に謝っておけばいいだろう。
面倒を見てやってもいいだろう。
「おし、一緒に出かけるか?」
「マジ、遊んでくれる?」
「オッケー、で、どうするよ?」
「おーれーお菓子食べたい、お菓子!!」
近くの雑貨屋に入ろうとする悟空の襟を悟浄が掴んだ。
「折角の時にそういう店行ってどうするよ、こっち来い。」
「えー何だよー。」
そのまま悟浄はずんずん裏通りへと入っていく。
辿り着いたのは小さな軒先にごちゃごちゃと商品を並べた店ー駄菓
子屋だった。悟空は物珍しげに覗き込む。
「すげーこんな店初めて!」
「まー三蔵は来ないだろうな、こうゆうところは・・・おーい、おばさんいるー?」
悟浄の声に応じて、住居になっているのであろう奥から年配の女性
が眼鏡をずり上げながらやってきた。
「まあまあ、嫌に大きな子供だね。」
「いんや、子連れ。」
悟空を指さして、ふと思い直して付け足す。
「むしろサル連れか。」
普段ならくってかかるところだが、お菓子を撰ぶのに夢中なのか悟
空は一向に気付かない様子だ。
「これは、これは!?」
「あーそりゃくじになってんだよ。」
「このおっきいのは!?」
「当たったらそれがもらえんだよ。」
「やるやるやる!」
「ハイ、三十円ね。」
女性に言われて悟空は首から下げた財布を開け小銭を掴みだした。
しかし一度や二度でそうそう当たりが出るはずもなく、三角のくじ
を開いた中には、はずれの文字が並ぶ。しかしそこで諦める悟空でも
ない。
「もー一回!!」
そんなことを何度か繰り返して、やっと意中の品を手に入れた悟空
の興味はまた別の所へ移った。
「これは・・・?」
薄いぺらぺらの板のようなものに細い線で絵が描かれている。
「これ、欲しいな。」
お金を払ってひとしきりその板を眺めた悟空は、女性と悟浄が話し
込んでいる間に、それを口元へと運んだ。
「うわーマズイッ!!なにこれ」
何とも言えない声に悟浄が何事かと振り返る。
「なんだよ」
悟空の手にしたものを見て悟浄は思わず噴き出した。
「おまえ、いくらなんでも型抜きまで食ってんなよ!!」
「だって知らなかったんだよ、なんだよこれ!?」
「貸せ、おーおーまた難しいの撰んじゃって。」
悟浄の受けとった板には緻密な線で龍が描かれていた。
「これはな、この線に沿って絵を削り出すんだよ、そんでうまくできたら、お菓子と交換してもらえんの。まあ、サルには無理だろうが
な。」
「ひっでー、なんだよそこまで言うか!?」
「おばさん、道具ある?」
悟空に言い返すでもなく悟浄は女性に問いかける。
店の隅の台を示され、悟浄はそこにある小さな椅子に座った。
「やってくれんの?」
「サルには無理だからな。」
ややその答えにむっとしながらも悟空はその手元を覗き込んだ。
器用に細かな線を針で辿っていく。その悟浄の横顔は自分自身が何
よりそのゲームを楽しんでいるようだった。
そんなことをしながら、あっと言う間に時間は過ぎ二人は今ゲーム
センターに来ていたというわけだ。
「わーやったやった!!」
紐の所を指に通して、念願のカンパンマン人形をぐるぐる回しなが
ら悟空が歩く。やや遅れてそれに続きながら悟浄は呟いた。
「ガキが喜んじゃって。」
「ガキガキゆうなよ!!」
「いんや、ガキだね。」
女のところに行きそびれたな、と悟浄は少し考える。
「折角今日は、久々にねーちゃんとだなー・・・。」
ふと表情を変えて悟空が尋ねた。
「いっつも思うんだけどさー、悟浄、女の人んとこ泊まって何してんの?」
不意打ちに悟浄は言葉を失う。
立ち直るのに幾分か間を要して、ようやく口を開いた。
「まー遊んだりするんだよ、いろいろ。」
「ふーん・・・」
全然見当違いのことを考えているのだろうと思うと不意におかしく
なって悟浄は軽く笑いを漏らした。
「なーんだよ!!」
「いやーこれだからお子様はーと思ってな。」
むっと悟空は振り返った。
「だからガキガキゆうなって言ってんだろ、この年増!!」
「あーん、このナイスピチピチお兄様をつかまえて年増だとぉ?」
「年増でなかったら、赤ゴキブリ!!」
悟浄の表情も幾分か本気になる。
「それは言うなっつってんだろ、このバカザル!!」
「もー頭来たッ!」
「おーう、相手になるぞぉ?」
往来の真ん中で既に両手を組み合って睨み合う二人に、他の通行人
はそそくさと道をあけていく。
一触即発、いつものストッパーがいないだけに今にも取っ組み合い
になりそうだったその瞬間。
二人が遊びに夢中になっている間に、灰色に塗り込められた空から
最初の雨粒がぽたりと二人の鼻先をかすめた。
「あめ・・・。」
どちらからともなく上を見上げると、すぐに雨は勢いを増し本格的
に降り出した。路上を黒い点々が次第に占領していく。むっとするよ
うな土の匂いが辺りに立ちこめた。
二人は頭上を覆ってすぐ近くの軒下に駆け込んだ。
「止みそうにないな・・・。」
空は鈍い色に沈んでいる。
悟空はお菓子の袋と財布を胸に庇いながら頷いた。
(ここからなら)
家に帰るより件の女の家の方が近い。
だが・・・。
「おい、帰るか。」
「どうしよっかな・・・。」
悟浄は既に水気を帯びた髪をかき上げながら続けた。
「俺は帰るぞ。おまえも、帰ってやれ。雨なんだから。」
悟浄は三蔵に関して詳しい事情は知らなかった。
ただ、雨の日はより機嫌が悪いようだとか、言葉が少ないとか。そ
の程度だけ。それは悟空も同じ様だった。
同居人に関してはもう少し詳しく知っていたが。
ややあって悟空が返した。
「うんそうする。雨だしな。」
「またな。」
「うん。」
短く言い交わして、二人はそのまま違う方向へと走りだした。
「うわ」
走り込んだ勢いで、玄関先の水たまりにそのままつっこんで悟空の
足下は泥水の色に汚れた。ほとんど濡れていないところはないくらい
にまでびしょぬれだったので悟空自身はあまり気にはならないが、ま
た汚して、と顔をしかめる三蔵の様子が手に取るように浮かんできた。
「あーまた怒られるなあ・・・。」
足音を押さえて玄関を通る。
三蔵に怒られるのもうれしくはないが、別の寺院関係者にこういう
所を見られればもっとうれしくない状況になる。何分、居候の身だ。
幸い、三蔵の部屋まで人影はない。玄関の敷物である程度水気を取っ
て部屋へと急いだ。
「・・・ただいまー・・・」
静かに戸を開けると無言の三蔵と目があった。
出かけてきたときと同じに、三蔵は窓際の執務机にいた。しかし椅
子は机に向かってではなく窓に向けられていたようだ。悟空が帰って
来たのに合わせてまた椅子の向きを変える。
雨を、見ていたのか。
また。
雨の度に見せる、沈んだ表情。
それでも敢えて雨を見つめる三蔵の心内が分かるわけではなかった
が。
「また派手に汚したな・・・・・・。」
よく見ると足以外にも走っている間に跳ね上げた泥が点々と染みを
作っている。
「あーごめん。」
「さっさと着替えろよ。」
怒るでもなくそのまま手元の書類に目線を落とす。
叱られないのに越したことはないが、単に三蔵に怒る元気もないの
ではないかと思われる。
そのまま次の行動に困って入り口に立ちつくす悟空に三蔵は溜息を
ついて立ち上がった。手近な引き出しからタオルを手にして、悟空の
頭にばさっと被せるとそのまま髪を拭いてやった。
「きもちいーあったかーい。」
「濡らすなっていつも言ってるだろ、雨止むまで休ませてもらえばよかったんだよ。」
「え?」
タオルの下から見上げる瞳に三蔵は続ける。
「どうせあいつらのトコいたんだろ。」
厳密に言うと違うのだが。
「んーでも雨だから帰った方がいいって悟浄が。」
三蔵が舌打ちする。
(余計なことに気を回しやがって)
「そんで、俺も帰りたかったしさ。」
微妙な間があってタオルがぱさりと肩にかけられた。
「そうそう、これカンパンマン!悟浄が取ってくれたんだぜ。」
その人形を見遣って何か言いかけ、やはり思いとどまり、ふ、と三
蔵は表情を緩めた。
「楽しんできたか?」
「うん!」
満面の笑顔でずっと胸に庇ってきたお菓子の袋も掲げてみせる。
「コレ!俺がくじで当てたんだぜ、でっかいだろ、後で一緒に食べようぜ!!」
「分かったからさっさと着替えてこい、風邪引くぞ。」
「分かった!」
隣の部屋に駆け込みながら悟空は笑う。
多分、いつも通りでいいのだ。
雨だから。
雨でも。
明日には、晴れるから。
「なー明日は天気かなあ?」
開けたままのドアから素っ気なく知るか、と返ってくる。それには
構わず悟空は続ける。
「晴れたらさー、弁当とか持って出かけようぜ、久しぶりに!」
返る声はない。
面倒だとかなんとかあからさまな否定がないところを見ると、行っ
てやらなくもないとそういうことなのだろう。
開けない夜がないように。
止まない雨はないから。
「明日晴れるといーなー」
悟空は笑顔で呟いた。
最初こそ走っていたものの途中で無駄だと諦めて悟浄は歩いて家へ
と向かった。以前にきつく言って置いたからまた雨の中に立っている
ようなことはないだろうが。
(いや・・・)
悟浄は眉間に皺を寄せた。
言ったくらいで聞くようなカワイイ性格には思えない。
言われたくらいで悪い癖の抜けるほど賢いヤツでもなさそうだ。
むしろ確信犯的な。
「ったくよー」
悟浄は再び走り出した。
辿り着いた家では、窓から暖かな色合いの明かりが漏れているだけ
で玄関に人影はない。安堵のような複雑な心境で悟浄はドアに手をか
けた。人が気を回したときに限って、である。
「ただいま。」
「ああ、お帰りなさい。」
見回すと家の中がこざっぱりと片付いている。
「帰ってきたんですね。散らかす人のいないうちにもうちょっと片づ
けようと思ってたんですけど。」
「十分だろ。」
そのまま上がろうとする悟浄を八戒が身振りで制した。
「待ってください、タオル出しますから。」
「ワリ。」
タオルを投げてよこしながら八戒が言った。
「久しぶりって喜んで出かけていったじゃないですか。」
「んー」
乱暴に水気を拭いながら悟浄は短く返した。
「途中でサルにあったんだよ。」
「それはまた」
八戒はダイニングテーブルに備えられた椅子にかけてあったエプロ
ンを取ってそのままキッチンへと遠ざかる。
「もー突然帰ってくるんですから。何も準備してないですよ、一人だ
ったら適当にすませようと思ってましたし。」
(ホントかわいくない言い草。)
悟浄はぽつんと漏らした。
「だって、雨だろ。」
八戒が言葉を失ったようだった。
ほら見たことか、と悟浄は内心思う。
本当は、まだ怖いくせに。
「・・・すみません。」
「まー雨の日はおとなしくおウチで遊びましょうってな。」
そう素直に反応されてもこちらが困る。
キッチンに立つ背中に近づいて悟浄は、八戒の襟足の髪に無造作に
触れた。微かに水気を含んで冷たい。
「おーまーえ、またやってたな?」
「アハハ、癖になっちゃってるみたいですねー。」
「ったくよー、まあ、そうしたいんならしてもいいけど、風邪でも引
かれたら厄介なのはこっちなんだからな。」
「肝に銘じておきます。」
テーブルに戻ってポケットからくしゃくしゃになったハイライトの
パッケージを取り出す。中の一本をしつこく何度も試して結局無理だ
と判断すると、ようやく新しいパッケージに手を着けた。
背後ではカチャカチャと食器や何かの鳴る音がする。
辛くても、最低のままでも。
傷はまだ癒えなくても。
こうして今生きている。
互いが互いをつなぎ止めるような危うい方法でも、こうやって明日
に続いていく。そのうちに新しい何かが見つかるかもしれない。見つ
からないかもしれない。そんなことは知らないけど。
(この場合)
ドウビョウアイアワレンジャッテル気がしないでもないが。
まあ、それでもいいだろう。
今はまだ。
悟浄はふ、と煙を吐き出して振り返らないままに言う。
「言っとくけど、ラーメンはくわねーぞ、全面的ラーメン反対キャン
ペーン展開中だからな。」
野菜とか具だくさんでも不可だぞ、と続ける。
「あーもー我が儘ですねー。」
出しかけていたインスタントの袋をばたばたと棚にしまい込む。
「時間かかりますよ?」
「全然オッケー。」
ゆっくりでも。
光の射す方へ歩いていけるのならば、それでいい。
カチリ、とコンロのスイッチを入れて八戒がひとりごちた。
「明日、晴れますかねー。」
「晴れんじゃねえの?」
「だったら、久しぶりにお弁当でも作りますかね。」
男二人でピクニックか、と悟浄は顔をしかめる。
「楽しくねえ構図だな。」
「喜びそうなのが一人いるでしょ。」
「ふーん?いんじゃねえ?」
悟浄は窓の外に目をやる。
雨はさして強く降っているわけではないようだった。明日にはきっ
と晴れるだろう。
けれど、今は。
まだ癒えない傷に、優しく雨が降り募っている。
END
|