Opening

「参りましたねえ・・・・・・。」
珍しく眉根を寄せる八戒の両手には弱々しくうずくまるジープの姿があった。
「・・・・・・ここのところ酷使したからな。」
いつもの不機嫌顔で歩く三蔵の言う通り、ここ数日道の悪い山が続いていた。ジープが体調を崩したのがそうした山道を抜けた今だったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
「あーハラ減った・・・・・・。」
事情が事情なだけに騒ぐことも出来ない悟空はため息と共にそう吐き出した。その隣ではジープを抱えて両手のふさがっている八戒に代わって慣れない地図を開いた悟浄が矢張り難しい顔をしている。
「っかしいなあ、そろそろ見えてきてもいい筈・・・・・・うーん。」
周りのまばらに生えた木々も道には侵食してきてはいない。人通りのある証拠だ。岩肌の露出も少なくなり緑の見える環境は、町や村が近くにあってもおかしくはないと思わせる。
しかしまっすぐ西に伸びている道の先には赤々と夕陽が燃えているだけだ。地図から顔を上げた悟浄はあからさまにがっくりと肩を落として見せた。
「悟浄、さっきもうじきつったじゃん、俺もう重いよー。」
「おお!?ならてめえが地図見んのか?ま、馬鹿ザルには無理だろーなきくだけ無駄だったな 。」
ジープを抱いた八戒も多少の荷物は背負っていたが、三蔵は言わずもがな地図とにらめっこする羽目になった悟浄もほとんど手ぶら、必然的に荷物の大半は悟空が持つことになった。
「悟浄だってちゃんと見れてないじゃん!って事は悟浄も馬鹿なんだ?」
「てっめー言うか!?馬鹿に馬鹿言われたらしまいだよな、この大馬鹿!」
「だったら大大馬鹿!」
「あーん?こぉの大大大馬鹿!」
こうなると悟空は勿論、悟浄もむきになってくる。
「大大大大大馬鹿!!」
「大大大大大大馬鹿!!」
「大大大大大大大馬鹿!!」
「大大大大大大大大馬鹿!!」
「大大大・・・・・・」
対にこの果てしない闘争に終止符を打つべく懐に手を伸ばした三蔵に八戒が声をかける。
「なんだ?」
促されるままに、目を細めて前方を見遣ると夕陽の下に建造物の影が見え隠れしていた。結果、より効果的な仲裁法をとることにする。
「おい、黙れ貴様ら!!」
縦断もハリセンも飛ばなかったが、怒鳴り声だけでも一瞬二人の注意を引くには十分だった。三蔵は二人の視線を受けて、すっと夕陽を指差した。
まず悟空が飛び上がった。
「やった街!俺一番ノリッ」
言ったかと思うと大量の荷物も何のそのの勢いで駆け出す。喧嘩の延長か対抗心に燃える悟浄もその後に続く。
「そうはさせるかッ!!」
夕陽を浴びて黒い影だけになり遠ざかる背中を見送って八戒はしみじみと言う。
「若いですねえ。」
「・・・・・・違うだろ。」
「僕たちも走りますか。夕陽に向かって?」
「・・・・・・冗談じゃない。」
三蔵に同意するようにジープが一声鳴いて、またくたりと首を垂れるのだった。



believe your smile!



「・・・・・・ッはぁ、はぁ・・・・・・コレ、どういう、事だよッ、悟浄・・・・・・」
「俺に、訊くなッ・・・・・・」
町は目で感じたよりも随分と遠かったのだが飽くなき闘争心が二人を目的地まで休むことなく走らせた。結果として、かなりの間座り込まなくてはならなくなっていた。
しかしそうして辿り着いた街には全く人気が無かった。
日干し煉瓦の白々とした壁は今は夕陽に染め上げられていたが、ただただ乾いた印象がするばかりだ。すぐに迫った夜の気配を含んだ一陣の冷たい風が吹き抜けていく。
そうこうしているうちに遅れて三蔵と八戒がやって来た。
「どういうことだ、これは?」
「おーう、お疲れさん。」
まだ座り込んでいた悟浄は首を曲げて背後に立つ三蔵を仰ぎ見た。
「地図では大きくないけどちゃんと街って・・・・・・」
言葉を途切らせた八戒は、すぐ横の建物まで歩いていくと何かを拾い上げた。
「何だ、八戒?」
立ち上がった悟浄は地面についていた手を払う。
「子供の、靴です。まだ新しい・・・・・・」
八戒の手には赤い小さな靴が片方だけある。色は褪せていない。
「最近廃虚になっちまったってことか。」
三蔵も複雑な表情で八戒の手元を見つめていたがやがて口を開いた。
「悟空の姿が見えないが。」
「アイツなら誰かいるかもしんねえって捜しに行ったぜ?まったく諦めの悪ィ」
「おーいッ!!」
悟浄の言葉を遮って悟空の大声が響いた。夕闇の迫る路地の一つから悟空が走り出してきた。そのまま三人の元までやって来る。
「三蔵、やっと来たのか!」
「てめぇみてーな野生児と一緒にするな。・・・・・・何か見つけたのか?」
「うんッ」
悟空は満面の笑顔で頷く。
「メシ!メシ食わせてくれるって!」
「誰か、人がいたって事ですね。」
八戒がその台詞を的確に翻訳した。
悟空の案内で辿り着いたその家は、見た限りではこの街で唯一灯りの点っている場所であり、偶然にも宿屋だった。
「どうぞ、まさかお客様がいらっしゃるとは思ってませんでしたけど。」
そう言って申し分けなさそうな笑顔で一行を迎えたのは長い黒髪に、これも矢張り漆黒の瞳の、妙齢の女性だった。彼女は明花と名乗った。悟浄は思わず軽く口笛を鳴らす。そういう、女らしさを備えた類の女性だったのだ。
「たいしたことは出来ませんけど、遠慮なさらず召し上がってくださいね。」
そうしてテーブルに運ばれてきた料理は確かに質素なものばかりだったが味は絶品だ。一口で悟空は目を輝かせた。
「うめーめっちゃうめー」
明花も軽く微笑む。
「本当、街がこういう状況ですからこんなものしか出せませんが、よろしければたくさんありますから。」
答える間も惜しんで料理を詰め込む悟空からは謎の音声が帰ってきただけだったが、明花は更に笑顔を深めた。
ややあって三蔵が口を開く。
「一体、この街はどうしたんだ?」
明花は淀むことなく言う。
「酷い状況でしょう。一ヶ月ほど前に妖怪に襲われまして。たくさんの人が死んで・・・・・・勿論全滅って訳じゃないんですが、難を逃れた人たちも他の街へと移り住んで行ったんです。」
「じゃあ、その、御家族も・・・・・・。」
家の中には明花以外に人の気配は無かった。八戒の言葉に彼女は頷く。
「もともと母は私が小さい頃に病気で亡くなったらしいのですが、父は・・・・・・はい、そうなんです。」
やや重くなった空気に構うこと無く三蔵は続けて尋ねた。
「ならなんであんたは一人でここに残ってるんだ?」
「・・・・・・三蔵」
直後にかけられた悟浄の声には非難の意図が含まれていたが三蔵の目は真っ直ぐに明花に向けられている。そこにあるのは−疑念。
しかし明花も真っ直ぐに視線を返す。
「私」
そこで僅かながら言葉に熱がこもるのを悟浄は見逃さなかった。強い意志の色が瞳に浮かぶ。
「私には、まだ遣り残したことがあるんです。」
ふっと笑顔になって続ける。
「それが終わったら私もあてがありますから街を出るつもりです。」
三蔵をまっすぐ見返した度胸。
毅い意志を持った瞳。
・・・・・・加えて美人。
悟空におかわりを頼まれてキッチンへ向かう明花の背を見て悟浄は深深と溜息を吐いた。
(イイ女・・・・・・。)
「あ」
八戒が悟浄に笑顔を向ける。
「今何か良からぬ事を考えてたでしょう。」
「なッ・・・・・・失礼だな、美人にそれなりの賞賛を送るのは男の義務だぜ、義務!」
「まあ、分かりますけどね。」
大体において、悟浄が目を付ける女性と言うのは客観的・総合的にも美人である。つまりレベルが高い、ということになる。
三蔵が短くふんと吐き捨てた。
「くだらん。」
「毎度毎度おめーはなァ、ほんっきでなんとも思わねえわけ?だとしたら最早異常だぜ、異常!!」
「・・・・・・死にたいか?」
「じゃなくてこれでも心配してんだよ!」
泥沼に突入しそうな場は取り敢えず明花が戻ってきたことで鎮火した。
「あの、ジープちゃん、でしたか?お薬とか、大丈夫です?」
新しく運んできた皿をてきぱきと並べながら明花は尋ねる。ジープは先に部屋で休ませていた。
「そう、ですねえ・・・・・・。普通の薬で大丈夫なものか僕にもちょっと分かりかねるのですが、多分少し疲れてるんだと思います。休めれば大丈夫でしょうから。お気遣いありがとうございます。」
「いえ。」
八戒の完全無欠の笑顔に勝るとも劣らず明花も100%の笑顔を返した。
食事も終えて、明花の用意してくれた二階の部屋に四人は戻った。使えるベッドやシーツの関係で狭い部屋で四人が一緒に休むことになっている。
「なあ、明日どうすんの?」
ベッドでシーツにくるまりながら言う悟空に八戒が答える。
「ジープ次第ですねえ、それは。」
すまないと言うように小さな瞳を向けるジープに八戒は笑いかける。
「気にすること無いんですよ、ジープはよく頑張ってくれてるんですから。」
すっかりみのむしになった悟空はこてんとベッドに転がった。
「んーまあ俺は明花さんのメシ食えんなら別にいいや。」
ばさりと新聞を繰った三蔵が小さく漏らした。
「・・・・・・馬鹿ザル・・・・・・」
「ひっでー。あ、悟浄何処行くんだ?」
「ふっふーん、ちょいと野暮用。」
「あーそ。」
悟空の冷ややかな言葉に見送られて悟浄は部屋を後にした。階下に行くとキッチンに灯りがある。丁度洗い物が終わったところらしく明花はエプロンを外しているところだった。
(ナーイスタイミング。)
「お疲れさん。」
「ああ、悟浄さん。お仕事ですから。」
笑顔で答える明花の正面、難なくかなりの至近距離まで近づいた悟浄はふと真顔で彼女の瞳を覗き込んだ。なにか、と尋ねる明花に悟浄はやや間を置いて答える。
「いや、やっぱ美人だなあってね。」
明花はふっと短く息を吐くように笑うと続けて言う。
「それって、お誘いなんですか?」
「だなー・・・・・・」
気の利いた言葉を探す悟浄を見つめていた明花は不意に片方の腕を悟浄の肩に回した。予想外にかけられた重みに、二人の顔は吐く息の熱まで伝わりそうなほどに近づく。
「えッ・・・・・・」
戸惑いを露にする悟浄の唇に、明花は空いている方の手の人差し指をぴっとあてた。
(・・・・・・睫毛ながッ・・・・・・)
咄嗟の事に見当違いの事しか頭に浮かばない。
明花はそのままの近距離できれいに笑った。
「でも残念ながら、私売約済なんです。ごめんなさいね?」
そうして、簡単に悟浄の腕を抜けると、戸口でひらひらと手を振った。
「じゃあ、そこの灯り消しておいてくださいね。」
呆気に取られている悟浄を残して、足音は遠ざかっていく。ようやく硬直が解けると悟浄はぼんやりと明花の触れた唇に手をやった。
「やっば、久々にドキドキしたじゃねえか・・・・・・」
何故だかそういう衝動に駆られてちくしょーと呟くと彼はおとなしく部屋に引き返す事にしたのだった。
翌朝。
白く朝日の射し込む部屋に、キューとジープの元気になったぞと言う鳴き声が響いた。隣で寝ていた八戒も起き上がる。不機嫌ながらも三蔵も目を開ける。悟浄はああ見えても心配していたようでいつもに輪をかけて目覚めがいい。
しかし意外にも悟空も既に目を覚ましていた。その第一声は、だが、
「なんか気持ち悪ィー。」
である。
「はぁ?今度はおまえか?」
そう言う悟浄に悟空はぶんぶんと首を振る。
「いやそういうのじゃなくて、なんっかぞくぞくするって言うかッ」
「だからそういうのが風邪とかじゃねえのか?いーから休んどけ、馬鹿がたまにやらかすとひでえって言うもんな。」
ばふっと強引に悟空を枕に押し戻す悟浄だが、悟空は負けじと起き上がる。
「ちーがーうって、ぜってー病気じゃねえッ!」
「だったら何だってんだよ、おまえらも何か言ってやれ!」
しかし期待して振り返った三蔵と八戒は揃って複雑な顔をしている。悟浄はその事に顔をしかめる。
「んだよ、どうしたんだよ?」
「どうしたってねえ・・・・・・やっぱり、そうなんですか?」
八戒は複雑な表情のまま同意を求めるように三蔵を見る。三蔵はそれに答えて言う。
「・・・・・・おまえも気付いてたのか。」
「まあ、うすうす・・・・・・。」
一連のやり取りに悟浄と悟空は一気に質問の嵐を浴びせ掛けようとしていた。その時だった。
「きゃあああああッ」
階下から明花の悲鳴が響き渡った。
会話も何もかも一気に中断し、悟浄、悟空、八戒の三人は動いた。三蔵も舌打ちを漏らしながら銃を手に取った階段を抜け、リビング、そしてキッチンへ。
破らんばかりの勢いで開けたドアの向こうには無残に壊れひっくり返ったテーブル、そして散乱する割れた食器のかけら・・・・・・そして、床に座り込んだ明花の姿があった。
開いた裏口の前に、一人の妖怪が立っている。
見たところ明花に怪我はない。
悟空は床に転がっていたパンを踏み掛けて足を上げた。
「てっめー食べ物を粗末にするヤツは容赦しねぇぞ!?」
「あと女性に乱暴するヤツもなッ!大丈夫か、明花?」
しかし。
それまで四人が現われた事にも、何も反応せず立っていた妖怪が悟浄の台詞に不意にきびすを返し走り出した。
「逃がすかッ、来い悟空!」
「言われずともッ!!」
駆け出した二人を矢張り追おうとして八戒は戸口出足を止めた。ふっと目を細めてドアの一部に触れる。
「三蔵。」
呼ばれて同じくドアを見遣る。そこには紙の剥がれたような後があった。八戒の視線に頷いて応じると、八戒もまた外へと走り出した。
明花も立ち上がる。
「あの・・・・・・」
しかし三蔵は戸口に歩み寄ると、無理矢理破られたような一枚の紙を拾い上げた。そこには梵字が並んでいる。
「これは、妖怪除けの札だな。」
その紙を明花に向けてひらりと見せる。
「・・・・・・何故、剥がした?」
明花はきつく表情を変えて三蔵を見返した。
「私の正体も、気付いてらっしゃるんですね。」
「最初は迷ったがな。普通はそう、生き生きしてるものじゃない。」
三蔵の言葉に明花は微かに笑顔を漏らす。
「おっしゃる通りですね。」
明花はそうして語り出した。自らの事、そして−”彼”の事を。
三蔵は黙って聞いていたが話が終わるとそのままゆっくりと戸口に向かった。それをぼんやりと見遣り、ややあってから明花もその背を追う。
「行って、くださるんですか?」
無理だと思った、と小さく続く声が鳴咽を堪えている所為だと気付き三蔵は舌打ちした。立ち止まるが、振り返りはしない。
「勘違いするな、一宿一飯の礼だ。」
やや考えて、言い足す。
「俺に出来る事は一つだけだ。本当に、それでいいんだな?」
ハイ、と涙を振り切り迷いの無い声が返るのを確認して三蔵は再び歩み出した。
「−あんたも、来い。」
「うっわ」
身を寄せた瓦礫が一気に砕かれ悟浄は慌てて敵との間合いを計り直す。悟空も居ながらたった一人の相手にてこずるのは珍しい話だ。
「てか、アイツおかしくねー?」
「うん。不気味・・・・・・。」
てこずる、と言うと語弊がある。
敵は事実こうして、二人に会話するゆとりさえ与えている。その気になればいつでも倒せる相手だった。
ただ。
がしゃん、と間近の家の壁が崩れる。その先には痩せ衰えた長身、それでいて鬼気迫る迫力の妖怪が立っている。それはおそらく表情の所為だ。こけた頬、そして落ち窪んだ瞳だけが何かを探すようにぎらぎらと濡れて光っている。
だが、その眼は決して悟空と悟浄を捉えてはいない。
二人はまたばらばらにその場を離れる。
が、敵はその二人を追うでもなく手近の瓦礫へと拳を振り下ろす。恐るべきパワー。しかしそれは悟浄や悟空に向けられているのではなく、闇雲に破壊活動を行っているとしか思えない。
「なんなんだよ、気味悪ィッ・・・・・・」
身を隠し様子を伺う悟浄。その肩をぽんと誰かがたたいた。
「大丈夫ですか?」
遅れてきた八戒だ。
「おめぇかよ、驚かすな。・・・・・・・大丈夫も何も、こういうカンジだよ。」
その狭い路地から外を伺って八戒もなんなんでしょうねと肩をすくめた。
そしてその向かいの路地にいた悟空はもう我慢できないと言うように地団太踏んだ。
「もーやめたッ、取り敢えず食いモノの恨みは晴らすッ!!」
路地から踏み出すと如意棒を構え一気に跳躍する。
「てっめー明花さんの料理返しやがれッ」
その時、妖怪の眼が確かに悟空へと向かった。振り下ろされる如意棒をクロスさせた両手で受け止め、押し返そうとする力をばねにスタンスを広げる。
対峙する二人の間に緊張が走る。
妖怪がかすれた声で何かを呟いた。
一連の様子を見守っていた悟浄は、はっと気付き走り出した。それにやや遅れて悟空が再び攻撃を仕掛けようと踏み出す。
(・・・・・・悟空!!)
何も映さなかったヤツの瞳が動いたのは。
『−大丈夫か、”明花”!?』
『てっめー”明花”さんの料理返しやがれッ』
そして。
『残念ながら私売約済みなんです。』
そう言って笑った明花。
何より、今確かにヤツは名花の名を呼んだ!
−ガッ
ぶつかりあったのは悟空の如意棒と悟浄の杓杖だった。
「悟浄、なにッ・・・」
「コイツは明花の」
「危ないッ!!」
悟浄の背に妖怪の一撃が入り二人はもつれ合うように勢いに任せて壁に打ちつけられる。すぐに起き上がった悟空はどういうことだよっと悟浄に詰め寄る。悟浄は渋面でだんと地面に拳をぶつけた。
「アイツは・・・・・・明花の恋人なんだ!!」
「ええッ!?」
動かない二人と向かってくる妖怪の間に八戒が滑り込む。加減をした気の放出で敵は一時的に倒れ込んだ。
「二人とも、ゆっくり話し込んでる場合じゃないですよ。」
「だって、悟浄が、アイツ、明花さんの恋人だって・・・・・・!!」
驚きの表情も露に告げる悟空に対し八戒は静かに言う。
「そういうことでしたか。」
「なんだ、気付いてたのか?」
八戒は首を振る。
「いえ、僕が気付いていたのは別の事です。・・・・・・どうしますか?」
視界の隅で一度倒れた妖怪が起き上がるのを認めて、八戒はそちらに向き直る。悟浄も悟空もただ唇を噛む。
「それで、俺たちがヤツにやられてやって何がどうなるってんだ?」
「・・・・・・三蔵ッ」
背後から現われた三蔵を悟空は言葉を求めるように見上げる。三蔵の手がすっと伸ばされた。銃口の先には、ぴったりと彼の姿が捉えられていた。
「−答えは、一つだ。」






銃弾は正確に妖怪の眉間を貫いた。
半身を起こした姿勢から、ぱたりとあっけないほど簡単にその身は地面へと崩れた。
沈黙。
誰の言葉も無く、荒涼たる廃虚の群れに乾いた風が吹きつける。
次の瞬間、悟浄が動いた。
「三蔵ッ。てめぇ・・・!」
しかし三蔵の胸座を掴んだ手に、そっと別の手が添えられた。
「悟浄さん、いいんです。」
明花だ。
「私が・・・・・・お願いしたんです。」
「えッ・・・・・・」
悟浄と目が合うと明花は微かに唇の端をあげてみせた。痛い、笑みだった。悟浄は訳も分からないままゆっくりと三蔵の法衣を離す。三蔵は何も言わず胸元を正した。 それを見届けてから、明花は歩き出した。
倒れた、恋人の元へと。
そのすぐ傍らに膝をつくと、彼の身体を仰向ける。
「・・・・・・彪英。」
名を呼ばれ、妖怪−彪英の瞼が弱々しく開いた。言葉にならない言葉が、ただ途切れ途切れの息になって漏れる。明花はただ頷いていた。
そして。
明花の手が彼の両目を覆い、静かに生の幕を下ろさせた。
何も言えずその背を見ていた四人の中から悟浄が歩み出した。俯く明花の肩から長い髪が流れ、恋人の死に顔へと零れ落ちる。涙を、隠すように。ただ。
(・・・・・・きれいだな。)
漠然とそう思って、立ち止まる。
「・・・・・・明花。」
「ありがとうございました、悟浄さん。」
「俺は・・・・・・俺は何も」
言葉に詰まり、固く握った右の手を見つめる。
明花は立ち上がり悟浄と向かい合う。その顔に、涙はない。血の気をなくして白くなった悟浄の手に自らの手を重ねようとして明花はあ、と漏らした。
叶わないのだ。それだけのことが。
哀しい笑みを浮かべる明花を、悟浄は驚きの目で見返す。
「これ・・・・・・」
明花の手は薄くその向こうの景色を透過し、悟浄の手に触れる事無くすり抜けた。いや、手だけではない。その姿全てが、今や半透明になり、存在そのものが希薄になっていた。
「私、彼に、殺されたんです、一月前に。だから・・・・・・」
あの日、他の妖怪と同じ様に彪英にも異変は訪れた。止めようとして、殺されたのだと明花は淡々と語った。
「それは別に良かったんです。けれど、彼は・・・・・・もっとずっとひどく狂ってしまった。死にきれずにこうやってこんな姿でこの世に留まるうちに、彼が苦しんでいるのが分かったんです。私を手にかけさせた事が、こんなにも彼を苦しめているなんて・・・・・・もう、見ていられなかった。」
俯く明花の顔には、また涙の軌跡が見て取れた。
「最初はどんなことになっても彼には生きていて欲しいってそればかり・・・・・・でも、彼にはそれがいちばんの苦痛だった・・・・・・。」
悟浄は狂気の爪痕の生々しく残る彪英を見遣る。死の間際に、彼は正気を取り戻したのだろうか。愛する女の姿を見たのだろうか。それは分からない。
「彼を、ラクにしてあげたいってそう思って、それが出来る人をずっと捜していたんです。彼にとって、何が良かったかなんて分からないけれど、本当、もうどうしたらいいか・・・・・・」
それっきり話さない明花に、悟浄はもう触れられないと知りながら手を伸ばした。涙を拭ってやるように、優しく。
「もう、泣くなよ。良いも悪いもねえよ、愛する女の選んだ結末ならコイツも満足だろうさ・・・・・・。」
「悟浄さん」
顔を上げた明花に悟浄は笑いかけた。
「シケたツラしてっと、上で待ってる恋人ががっかりすっぜ?」
軽く上げた腕は抜けるような青空をさしている。その先を同じく見遣って明花はハイときれいに笑った。昨日から今まで、一番の笑顔だった。
少し離れて立つ三蔵、悟空、八戒に一礼し、再び悟浄と目を合わせる。
「ありがとうございます。」
「ああ、たいしたことじゃねえよ・・・・・・またな。」
「ええ、また。」
そうして、最高の笑顔を残して彼女の姿は宙にほどけて消えていった。


Ending

「何、三蔵と八戒は気付いてたの、最初っから!?」
後部座席から身を乗り出す悟空に八戒は危ないですよと言い置いてから説明する。
「僕はなんとなくですけどね。なにせ、明花さんの場合ハッキリクッキリでしたから。」
「そんなところだ。おまえが気持ち悪ィ言ってたのもその所為だろ。全く気付かないのはそこの馬鹿くらいだ。」
「三蔵・・・・・・。」
騒ぎになれば一番イライラするのは三蔵自身であるのに煽るような事をせずともと八戒は視線を送るが、予想に反して悟浄から返る声はない。やはり不審に思ってか、背もたれに深く背を預けたまま空を仰いでいる悟浄に悟空が恐る恐る声をかける。
「悟浄?」
しばしガトゴトとジープの走行音だけが辺りを支配する。
「なあ、三蔵。」
ぼんやりとした悟浄の問いかけに三蔵はいたってまともに応じる。
「何だ?」
「天国とか地獄とか、死後の世界みたいなもんってあんの?」
「知るか。」
即答である。悟浄は仮にも坊主だろーがと軽く毒づく。
そんなことは考えても見なかったけれど。
今は、二人の為にそういう場所があって欲しいと願ってみたり。
(ま、アイツなら何処ででもやり直せるかな・・・・・・。)
悟浄はよっと掛け声一つで身を起こすと、悟空の頭を支えに後部座席から身を乗り出す。
「いってぇーッ」
「なんだかんだで朝メシ食い損ねてんだよなァー、流石の俺も『ハラ減ったー』ってな。次の街までどれくらいなんだ?」
悟浄の手からようやく脱け出した悟空があーと声を上げる。
「俺も俺も、ハラ減った!」
「ちょっと遠いですよ?保存食でも出しますか。」
今度は二人同時に反対の声が飛ぶ。
「やだよ、おいしくないじゃんッ。」
「あったかいメシ推奨!!」
しょうがないですね、と八戒は笑顔を作る。
「とばしますから、気を付けてくださいね。」
しかしその台詞が終わるか終わらないかの内にジープは急加速する。三蔵がうわ、と珍しい声を上げた。
「コイツ、ライター落としてやんの、ダッセー」
「三蔵もドジなんじゃーん。」
三蔵は火の点いていない煙草を折れんばかりに噛み締めるとぎっと振り返る。その手には無論銃が握られていた。
「てっめぇら、いい加減にしやがれ!!」
青空に連続して銃声が響き渡る。
「三蔵ひっでーヒトの事はさんざん何かとてってーてきにコケにすんのにッ」
「おまえらと俺とじゃ違うんだよ!」
なおムキになる三蔵に二人は人差し指を立てて、真顔で言う。
「守ろう人権。」
「なくそう差別。」
八戒はぷつりと何かの切れる音を実際に聞いたような気さえした。こうなったら全面的に手出しは不可能だ。というよりその方が身の為である。
「・・・・・・死ね。」
再び銃声。
「今のシャレじゃねーぞ、マジ死ぬぞ!?」
悟浄の言葉に悟空もしきりに頷く。二人のこめかみにはうっすらと擦過傷が残っている。
「だから死ねって言ってんだろうが!」
「あーもー皆さん落ちても知りませんからねー?」
しかし八戒も決してアクセルを緩めようとはしない。
先はまだまだ遠いのだから。
こうして彼らの旅は西を目指してにぎやかに続いていくのだった。

−END−





■あとあがき■
いかがでしたでしょうか〜?4649ゲッターヒビキ様のリクエストによる・・・中編作品でした。なんっか、話が大きくなってしまいましたが、宿屋の娘が交流してますよねッ?(ム、ムリ・・・・・・?)
これを書き始めた頃に最遊記小説三巻を読み始めまして。まんなかくらいまできたときに、いっかーんネタがかぶっている恐れがッ!!という事になり、読むのを辞めて早急に書き上げました。まあ、話的には全然別物なんですが、妙に台詞とか・・・・・・特に最後の方の三蔵と悟浄のやり取りなんてがっちりですわ・・・・・・かぶっちゃってツライです。別に知ってて書いた訳じゃないのにィ・・・・・・。パクったわけではない!と信じてもらえないかもしれないが宣言しておこう。
というか。パクったどうの以前に、所詮私の思いつく事と言うのはせいぜい他の誰かも思いつくような事なのかとちょっとがっかりしますわな。『幽霊』というコンセプトがかぶっちゃった時点で。しかしまあ、また別の話となると時間がかかるし、書いちゃったものを眠らせるのも勿体無いのでこうしてUPしましたが。うーん、やっぱフクザツ。
そういったこととは別に話そのものは割と今回は自分でも納得いきました。しかし、リクエストの中に「三蔵様もタジタジ」というような事があったのですが、たじたじしてんのは悟浄でしたね。しかも女の私が書いたのに少年誌的展開になってしまったのは何故でしょうか。悟浄頑張れよ!!というか誰か私に女性のお誘いの仕方を教えてください(泣)。でも、ちょっとやや、微かに三蔵様もたじたじしてそうなシーンを何とか入れる事が出来たと私的には思ってます。(←自己満足以外のなにものでもない。)しかしなんだかんだで悟浄メインくさいですな。今書いてるのもそうなのに。しかしそれにも関わらず、カッコはつけるわ、バリバリ目立つわ、いいトコとってくわ、流石ですね、三蔵様!!いくつか書いてて思いましたが、このヒトはちょっと登場するのにも勿体つけるわ、なんつーかいいとこどりです。そうなってしまいます。やはりカリスマ坊主。
そんなこんなでした。今回もかなり楽しく書けました。ヒビキ様、リクエストどうもありがとうございました。


RadBooster こちらの企画にリクエストくださいました、ヒビキクミコ様のサイトです。
ありがとうございました〜。