M・M・M


ーガゥン 銃声に迫る妖怪が倒れる。三蔵の鮮やかな一撃で辺りに静寂が戻った。
「コレで全部か。」
「そんなもんだな。」
悟浄の問いに短く返すと三蔵は薬莢を抜いた銃を袂に収めた。経文強奪ツアー御一行様団体一組接客済み、といったところだ。
「あー腹減っ・・・・・・うわ」
死体に足をとられかけた悟空を八戒がタイミングよく支えた。
「悟空気を付けないと。こんなところに落ちたら洒落になりません。」
「だよなぁー、何せ"神隠しの谷"だしッ」
「いえ、それは関係なくて、高さの問題なんですけどね・・・・・・?」
四人が先刻まで戦闘の舞台としていたのは、眼下遥か遠くに黒々と生い茂る木々の色を見せる谷を臨んだ断崖絶壁の上だった。谷底から吹き上げる風は冷たく水気を帯びている。
ここに落ちたらと考えると背筋が寒くなる。
その上、"神隠しの谷"などという名まで冠しているのだ。
昨晩泊まった宿の女将が西へ行くのなら、とこの谷の存在を教えてくれたのだ。
「ああ、西へ行くのならあの谷を通るんだね。あそこは遠回りになるけど迂回した方がいいよ。道が悪いからねえ。それに昔はよく子供がいなくなるものだから"神隠しの谷"なんて呼ばれたものさ。」
他の客の応対もあって詳しい話は聞けなかったのだが。
「神隠しの谷か。まァ、イイ気はしねーよな。迂回路、ちゃんと分かってんの?」
ジープのボンネットの上で地図を広げる八戒に向けて悟浄は言う。
「ええ。確認ですよ。」
「じゃあ、行くか。」
ジープに戻ろうと三蔵がきびすを返したその時だった。
悟空だけが、その微かな変化に気付いた。
「三蔵、危ねえッ!」
「油断したな玄奘三蔵ォオッ」
一度倒れた筈の妖怪が三蔵めがけて走るー捨て身覚悟だ。だがその両者の間に小柄な影が割って入りー。
三蔵には銃を抜く間が出来た。
ーガゥン
寸分の狂いもなく弾丸は眉間に吸い込まれる。
「ひゃは」
不気味な笑い顔を張り付かせたまま今度こそ妖怪は沈黙した。しかし。
「悟空は!?」
蒼白の八戒から最悪の返答がある。
「落ちましたッ・・・・・・何て事に」
「クソッ」
三蔵も言葉が見つからない。
悟浄がバン、とボンネットの上の地図を叩いた。
「近くに谷に降りる道があるじゃねーか、さっさと行くんだろ!?」
八戒が顔を上げる。
「・・・・・・そうですね。」
「とっととしろよ、三蔵も!」
「てめぇに言われなくても分かってんだよ!」
クソ、とまた悪態を吐いて、しかし他には何も考えられないままジープに乗り込む。一人分の空席を残してジープは走り出す。張り詰めた沈黙の中、しばらく走るとすぐにジグザグを描いて谷底へと下っていく道が見つかった。八戒はギアをセカンドに落とす。
「少し急ですが・・・・・・頑張ってくださいね、ジープ・・・・・・!」


「え!?」
足元に不自然な浮遊感。
そしてそれは直ぐに容赦無い落下のそれへと取って代わる。
速い、速い、速い。
(俺、落ちたー!?)
あまりの高さから落下すると途中で意識を無くすこともあるのだと言う。丁度今がそうなのかもしれない。内臓のひっくり返るような感覚も、高速で流れる視野も、何もかも遠ざかる。そして軽くなっていく。
(あー、俺どうなるんだろ。)
妙に、温かいものが身体を包んでいくように感じていた。


谷までは何とかジープで降りられたものの、谷底は木々が密集し沢が複雑に入り組んで流れているため徒歩で進むしか無かった。それは捜索に随分と時間を要するということでもあった。落下地点と思われる場所へと何とか進んでは行くが、そのうちにもやがて、下生えの作る影が広がり、森は闇に侵され始める。
夜が近いのだ。
「クソッ、どっかの木にでも引っかかってろよ、サルーッ!」
悟浄は頭上を覆う緑にまで目を遣る。焦りは隠せない。それは八戒も同じだ。
「早く見つけないと、暗くなってしまっては・・・・・・!」
三蔵は何も言わなかった。
気の進まない様子でふらふらと歩きながら煙草のパッケージを取り出し、神経質な仕草で一本くわえ出す。そしてライター。
カチリ
火は点かない。
カチリ カチリ
繰り返しても結果は同じだ。
「クソッ」
煙草を吐き捨てると同時にライターも地面に投げ出す。
「三蔵・・・」
言葉をかけようとした八戒の袖をジープが、キュウ、と引っ張った。八戒の注意をひけたのが分かると、木々の合間から覗く既に濃紺に染まる空へと首をもたげ、三人の頭上をぱたぱたと旋回し始めた。
その意図を察した八戒は驚きの表情を顕わにする。
「上へ行けって言うんですか・・・・・・?」
「はぁ!?何馬鹿なこと言ってんだァ?」
悟浄はジープの首根っこを捕まえかねない勢いだ。だが、ジープは器用にひらりとそれをかわし、そのとおりだと言わんばかりに一声高く鳴く。
その小さな瞳をまっすぐに見つめていた八戒だったが、やがて再びその口を開いた。
「分かりました。行きましょう。」
「はぁあ?」
信じられない様子の悟浄に、八戒はきっ、と強い視線を投げる。
「行きますよ、悟浄。三蔵はどうします?」
いたって無気力に頷く。
「ああ、行こう。」
そうして三人は確かな確証も無いままにも関らず何故か一縷の望みを持って、再び元の道を引き返し、急斜面を上り詰め、そして。

その光景に出会った。

昇りきった満月のシルエットになり、動かない姿。
それは。
「ー悟」
三蔵の言葉を遮るように、悟空が口を開いた。
「俺、俺見たんだ。前にもーこんな月を。」
冷たい光。
不思議なやわらかさで包んでいく。
孤高の光。
凛と音になって降り注ぐ。
大地と月の光だけが。
女神の名を持つものたちだけが。
ーMARIA、あまねくすべての母よ。
薄寒い夜の下で、確かに祝福されていたあのとき。
「覚えてる・・・・・・覚えてる・・・・・・!!」
黄金の瞳からその輝きが零れ、光の筋になって頬を伝う。悟空はまっすぐに月を、その光を刻みつける様に、膝を折ったまま天を仰いでいた。誰にも邪魔をすることは出来なかった。何者の介入も許さない、張り詰めた、聖域のような空気がそこにはあった。
(ー悟空)
三蔵は口にしかけた言葉を飲み込む。
彼は今確かに、大切な何かを感じている。
そう、分かった。
生命のはじまりとやがていきつく先、そんなものにも似た。
(つかみとれ、その手に。)
祈ること。
自分にはそれだけしか出来ない。
貪欲にその両手を伸ばし、瞳を開け、感じとれ。
見ているから。ここで見ているから。
その時。
糸が切れるように突然、しかし音も立てずに悟空が岩場の上に崩れ落ちた。
「悟空!」
八戒が駆け寄り悟空の肩を引き起こす。完全に意識を失っているのか反応は無い。心配そうな八戒にその肩越しに三蔵は言う。
「心配ねぇだろ。・・・・・・見ろよ、このアホ面。」
乱暴な言葉とは裏腹に、伸ばした手で悟空の頬に残る涙を拭ってやる。それを覗き込んだ悟浄は思わず口元を緩めた。
「コイツ、笑ってやがるよ。」
悟浄の言う通り、倒れた悟空はその顔に笑みを浮かべていた。受け止め、理解した、満ち足りた表情。
(見たのか、悟空。)
己の根元を。全ての答えを。
三蔵は眼下に広がる渓谷の光景に目を細める。白々と岩肌が月光を移し輝く様が急に眩しく感じられた。
大地も月も、何者をも拒まない。
彼女たちはただそこにあり、やさしくその胸に抱きつづける。
誰もが土に生まれ、土に環っていく。
生命の源、母よ、MARIAよ。
今は眠る悟空にも、その手が差し伸べられることを。
ずっと、祈ってる。


「まあ、あんたたち戻ってきたのかい?」
「悪ィね、おばさん。ちょっとトラブって。」
悟浄は背中に負った悟空を身振りで示す。
「大変、ちょっとお待ち、すぐにベッドの用意するからね!」
バタバタと女性は客室のある二回へと階段を上っていった。
結局、先に進むよりも断然近いこともあり、大事を取って三蔵たちは今朝出た宿に引き返したのだった。
「・・・・・・ん?」
取り敢えず、とテーブルの一つに備えられた長椅子に下ろされかけた悟空が声を上げる。
「お、目ェ覚ましたか?」
三人の視線が一点に集まる。
やがてぱちりとまんまるに目を開けた悟空の第一声は。
「腹減ったぁ〜」
そして本当に力の入らない様子で再びばたりと椅子に転がる。悟浄がその胸座を捕まえた。
「おまえ、さんざ心配かけといて、ソレかよ!?」
「そんなの知らねーよ、イキナリ何だよッ」
「つーか、先刻までこっちはおまえ背負ってやってたんだよ、礼の一つもしろっつーの!!」
「だから知らねーって・・・・・・は?なんで俺こんなトコ居んの?何?何?」
「ー今更かよ。」
「だから何があったんだよ!?」
「もぉー面倒臭ぇ・・・・・・教えねぇ!絶対、教えてやらねぇ!!」
「ケチ!ケチケチケチケチ!ケチガッパ!」
「ハン、三年寝猿に何言われよーが、知ったこっちゃねーな!」
「ーッ、ケチ赤ゴキブリ!」
「なんでもくっつけりゃいいってモンじゃねーよな、ああ!?」
「あ、嫌なんだ?」
「うるせーッ!」
ハ、と息を吐いて三蔵は手近な椅子を引き寄せると深く腰を落とした。八戒もくすくすと笑いながらその向かいの椅子に手をかける。
「今日は止めないんですね?」
「もー止める気力もねぇんだよ。」
煙草をくわえ袂を探る三蔵に八戒は手を差し出した。
「コレライターでしょ?ジープから予備を持ってきておきました。」
「・・・・・・。」
無言で奪うようにライターを受け取ると、口元に火を運ぶ。
そこへ二階から女性が戻ってきた。
「なんだ、あの子元気そうじゃないかい。」
「ハハ、みたいです。手間をおかけしました。」
別にかまやしないけどね、と女性も二人の近くに腰掛ける。
「一体何があったんだい?」
一応三蔵の様子を伺うが話すつもりはさらさら無い様なので、八戒が口を開く。
「実は今朝お話を伺った"神隠しの谷"で悟空が行方不明になりまして。ですが不思議な事に」
「全然違うところで無事に見つかったって言うんだろ?」
三蔵も煙草を離す。
「何故それを?」
やっぱりかい、と女性は笑う。
「今朝の話には続きがあってね。あの谷ではよく子供が居なくなるんだけれども、最後まで見つからなかった子は一人も居ない。皆、一度探した場所やなにかで後になって見つかるのさ。それも安全な場所でね。」
そこでふ、と優しい顔になる。
「それで、そのうち誰かが言い出したんだよ。行方不明になった子供を、何かが導いてくれているんじゃないかって。現に森で見つかったのに川に落ちたって言い張る子供が居たもんだから、パッとその噂は広まってね。それで、いつからかここらの者は皆、あの辺りの谷を、子供にはやさしい谷、媽谷・・・・・・mother's valleyって呼ぶようになったのさ。信じる信じないは勝手だけどね。」
「いえ」
八戒はテーブルの上で組んだ両手を見つめたまま答えた。
「僕は、何だか、分かる様な気がしますよ。」
「ーそうかい。」
八戒はいたずらっぽく上げた目を三蔵に向ける。
「三蔵も、でしょう?」
「・・・・・・どうだかな。」
「正直じゃないんですから。ーところで」
「もォーイイ加減にしろつってんだろ、このバカザル!」
「そっちが先やめたらな、エロガッパ!」
まだ続けている二人を八戒は笑顔で指差す。
「やっぱり放っとくのはマズくないですかね?」
「チ」
舌打ちして三蔵は煙草を灰皿にきつく押し当て、渋々立ち上がった。
「てめぇら殺す!今決めた、一生黙らす!!」
こうして、つまずきぶつかりながらも、彼らの西への旅は続いていくのだった。

-end-


ウッハー。古くなったものを敢えてアップするのって精神衛生上よくないですよねッ。もうこんなセコイ更新しなくていいように頑張らんとッ。
なんつーかひとことだけコメントしておくと、なんか悟空が悟空じゃない……。まあ、なんかそんなカンジです。それなりに思い入れはあるんだけどさッ。